社長メッセージ:「3.11」を通して気づいたこと

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※木質バイオマス
バイオマスとは、生物資源(bio)の量(mass)を表し、様々な農林水産物、家畜の糞尿、木くず、食品廃棄物などをしめす。
その中で、主に樹木の伐採や製材などにより発生した枝や葉、製材工場から発生する樹皮やノコギリ屑、住宅の解体材や剪定した街路樹など、木材に由来するものを木質バイオマスという。

■地域の分断を防ぎ、人びとを守るために

昨年の東日本大震災、その後の東京電力福島第一原子力発電所の事故で、日本の環境と安全は崩壊しました。そして、改めて弊社のビジネスである「環境と安全」の重要性を感じました。

私は現在、県内の各自治体に、太陽熱と木質バイオマス小水力※を使った再生可能エネルギー熱電併給施設の建設を提案しています。 その内容を紹介する前に、私が「3.11」を通して気付いたことをお話しましょう。

震災後、弊社では全てのライフラインが断絶しました。周囲の道路の信号は停止したまま。夜になっても灯のつかない街は、ゴーストタウンのようでした。
さらに物流が途絶え、ガソリン不足や食料不足が起こりました。暖房が使えないため、寒さで命を失ったお年寄りや体の不自由な方もいらっしゃいました。
地域が分断され、人びとの暮らしを守ることができなくなってしまったのです。

もし、あのとき、小規模・分散型の再生可能エネルギー熱電併給施設の多拠点化が進んでいれば…と今でも思うことがあります。蓄電すれば、しばらくの間は、電気も水道も問題なく使えたはずです。
寒さで命を落とす方も、少なくて済んだのではないでしょうか。再生可能エネルギーと同時に電気自動車があれば、物流が途絶えていても、自分たちの手で食料や生活必需品を調達することも可能だったと思います。

環境と安全をビジネスとする弊社にとって、再生可能エネルギーは、単なる「自然を守るもの」「便利なもの」ではありません。
「これから絶対に必要とされるもの」です。これは福島だけの問題ではありません。大規模な地震が起こる可能性は、日本各地で高まっているのですから

■新しいスキームができ、次への対応が可能に

震災を通して、気付いたことがもう1つあります。それは、どんなに難しい目標のように思えても、それを達成するために動くと、新しいスキームができ、次に繋がるということです。

震災後も弊社は営業していましたが、当然ながら通常のビジネスは難しい状況でした。物流が途絶え、ガソリンもなく、どの店もシャッターを下ろしたまま。原発事故が起こり、正直、「会社が潰れるのでは…?」と危機感を抱きました。

でも、そこで考えたのです。「環境と安全をビジネスとしている我々が、休業するわけにはいかない。むしろ、競合他社が休業している今こそ、企業としての社会的責任を果たす時であり、一方でビジネスチャンスなのではないか? 今、何をなすべきか?」と。
私はまず、警察署へ行き、少々強引に緊急車両の許可を取りつけました。緊急車両として認められれば、ガソリンを給油できるし、高速道路の走行も可能になるからです。

その後、郡山市水道局から「市民に水を配るための給水袋はないか?」と問い合わせが入りました。今だから言えることですが、実は私たちの倉庫に給水袋はありませんでした。でも、私は「あります」と答えました。
被災者からのオーダーにまず応える事こそが、今なすべきことであると感じたからにほかなりません。

必死に給水袋を探した結果、名古屋の業者がストックを持っているっていると分かりましたが、放射線の影響を恐れた物流業者は県内まで来てくれません。そこで、こちらから取りに行くことにしました。大型トラックを調達し、運転資格を持つ社員2名に運転させ、関東方面へ向かわせました。
1台は埼玉で名古屋からのトラックとドッキング。もう1台は栃木で待機し、埼玉からのトラックの荷物を受け取り、水道局に納品しました。

これで、震災時の自社物流が整備されました。すると、県災害対策本部や自衛隊から次々と問い合わせが入るようになったのです。福島第一原子力発電所の水素爆発時には関係各署からの「防護服2万着」という要請にも応えることができました。
「今、何ができる?」を考え、お客様のオーダーに応えるために動いたことで、新しいスキームをつくり上げることができた。それによって、他のお客様にも対応できるようになったのです。

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